武人紹介


柴田軍総大将

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 柴田 勝家(しばた かついえ)
  出身:尾張国愛知郡上社村
  輝名:『鬼柴田』『かかれ柴田』『瓶割り柴田』

「かかれ柴田」「甕割り柴田」などの異名を持つ家内きっての猛将。
当初は信勝派だったとされ、信長と対立する事もあった。後に和解し、勝竜寺城の戦いなどで活躍した。
信長の死後に羽柴秀吉と対決し、信長の妹・お市の方を正室に迎えるが、賤ヶ岳の戦いで敗北、お市の方と共に自害した。
猛将のイメージが強いが国内統治にも優れており、彼が治めていた越前方面では名君として名高い。


★一門衆★

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 佐久間 盛政(さくま もりまさ)
  出身:尾張国御器所
  輝名:『鬼玄蕃』『夜叉玄蕃』

柴田勝家の甥。電撃戦を得意とする猛将で、若くして織田家の北陸方面で活躍。
その武勇から「鬼玄蕃」の異名をとった。
柴田勝家が越前の国主になると、盛政は寄騎として柴田勝家を支えた。
その後は加賀一向一揆や上杉家との戦いで活躍し、信長から加賀の統治を任された。
賤ヶ岳の戦いでは先鋒として奮戦するが、前田利家の裏切りを受け敗北。
戦後、囚われた盛政を秀吉は家臣に取り立てようとしたが、盛政は降伏を拒否して処刑された。


★家臣★

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 毛受 勝照(めんじょう かつてる)
  出身:尾張国春日井郡稲葉村
  通称:庄助・荘助・荘介、勝助・勝介

元は 柴田勝家 の小姓で、後に 「小姓頭」 にもなっている。
成人してからは 柴田勝家 の配下として活躍、織田家 が 伊勢長島 を攻めた際には、敵に奪われた 柴田軍 の馬印(大将の旗)を敵陣に突入して奪還し、柴田勝家 を大いに喜ばせた。
「本能寺の変」 の後に 柴田勝家 と 秀吉 が戦った 「賤ヶ岳の戦い」 では、敗北した 柴田勝家 に城に退却するよう進言し、そして 柴田勝家 の馬印をつけて 勝家 の身代わりとなってしんがり役を務めて奮戦、勝家 が撤退する時間を稼いだ後、戦死した。


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